Lun's porte

私のどうでもいい私生活の扉

ライフ

代わり映えがないだとか

普通過ぎてつまらないだとか

 

それもあなたの人生で

いのちを燃やしている瞬間である

 

 

辛い、苦しい、やめたい、死にたい

 

マイナスな形容詞で溢れる世界で

美しく生きるためには何が必要ですか?

 

そんなの決まっている

 

いのち

 

きっとこれだけなのです。

 

 

生きることに不満や悲しみを持つのは、

生きることに少し期待してしまう自分と

 

今いる環境、自身の境遇を美化したいという、

他人のキラキラとの比較

 

 

「隣の芝生は青い」

 

 

人間の感情の歪みは

この言葉で端的に表されていますが

 

きっと

今のあなたも他人からしたら

隣の芝生は青いなのかもしれない。

 

 

でも、もし

それが考えられないくらいマイナスな形容詞が

募りに募って爆発しそうな時は

 

 

沢山泣いて、沢山責めていいから

落ち着くまで自然体でいなさい。

 

 

 

「他人に迷惑をかけるから」と

ひとりで完結していのちを削るなら

 

もう全て終わらせようと

生き急ぐなら

 

死にたがりの私がここにいると

 

そして

 

そんな私は今も生きていると

覚えていて欲しい。

 

 

 

生きていればいいことがある、だなんて

そんな風には思っていない

 

でも

 

全く会ったことの無いあなたの人生は

私にとっては尊くて、無くすには勿体ないと。

 

 

 

知らない誰かが、自らいのちを燃やし尽くす時

私はその時に出くわすことはないし、

きっと知らないままでしょう。

 

 

ですが

死んで欲しいとは思っていない

 

 

 

死にたがりの私だからこそ

あなたには生きていて欲しい、

先に行かないで欲しい

 

 

生きることにプレッシャーをかけてるような

そんな言い方は、とてもいやですが

 

 

私は自己中心的だから

自分は死にたいけどあなたには生きていて欲しいのです。

 

 

 

そしたら私もできる限りのいのちは

燃やし続けていられると思うから

 

 

さっき買った七輪は、

どう使おうか迷うけれども

 

まぁきっとこんなこと言えている限り

ずっといのちを燃やし続ける

「死にたがり」のままなんでしょうね。

(フィクション)

学校生活

こんにちは

 

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ご無沙汰しております

 

約1年ぶりに戻って参りました、るんです

 

 

そろそろ梅雨に入りそうな空気感

ちょっとずつ髪の毛がはねるようになってきました。

 

私の嫌いな1ヶ月

 

 

 

 

そういえば、とてもご報告が遅れましたが

学生になりました!

 

 

 

1年間の自堕落生活を経て、やっと前に進むことができます

 

 

 

とはいうものの、こんな世の中ですから

入学式はなくなり、授業開始も延期

 

 

学校に行くのは、6月に入ってからです

 

 

1年以上、一日中家にいることに慣れてしまったので

学生をしていた自分が懐かしいと思えるほど。

 

 

 

 

〝期待と不安を胸に〜〟

 

 

 

この在り来りな言葉がしっくりするくらい、

それくらい、

これからの環境が久しぶりなものなんですよね

 

 

 

 

私の選んだ学部は語学系ですが、

 

特に得意分野な訳ではありません

 

 

むしろ、喋れない、聞き取れないで

これからの勉強はきっと大変

 

 

ただ、何をしようかと思った時に

勉強して損はないな、という

 

それだけの理由で選びました

 

 

 

 

そうなんですよね、

私にはこれといった「夢」がないんです

 

 

 

 

まっさらだから

やりたいことを絞れていないから

 

今必要とされていることを学ぼうと思ったんです

 

 

 

 

知人に、語学やるんだと言った時

 

「なんで?」

 

と言われました

 

 

「得意でもないし、好きでもないのになんでやるの?

別にいいと思うけど、なんか不思議だしよく分からない」

 

彼はそう言いました

 

 

 

応援されたい訳ではありませんが、そう言われると少しショックですよね

 

 

確かに彼より英語も出来ませんし、成績も良くないです

驚かれるのは当然かもしれませんね

 

 

きっと知人は、

私が得意な美術系や文学系にいかないのは勿体ないと

そういうニュアンスの話をしたのだと思います。

 

 

 

 

カウンセラー、養護教諭、特別支援の福祉関係職、社会科教員、栄養士、舞台装飾、服飾、美容部員、空間デザイナー、カフェ経営

 

 

私には得意なこと、好きなことが幅広く

やりたいことを一つに絞ることが本当に苦手

 

 

よく言えば

色々なことに興味関心を持つことができる

 

ですが、

 

悪く言えば

全部それなりにでしかない

 

 

 

進学先を見つけるにあたり

それが大きな悩みではありました。

 

 

 

 

ですが悩んで悩んで悩んだ挙句

 

 

ふと思ったんです

 

 

 

「それなら、自分の知らない自分に出会いたいかも」

 

 

その一瞬で驚くほどに

心が楽になりました

 

 

 

興味が沢山あるなら、興味を増やそう。

 

 

 

なかなか面白い、私らしい考えだなと

フフっと笑ってしまいす

 

 

中途半端だからこそ、中途半端なりに

学びを楽しめるじゃんという

 

ポジティブシンキング!!!

 

 

 

 

そんなこんなで今に至る訳ですが

課題も多く、リモートでの授業も難しい

 

対面とこんなに違うんだなって

新たな発見でもあります。

 

 

 

これから先、私はどんなふうに

夢を持つんだろう

やりたいことを見つけていくのだろう

 

果たして、この学校で私は1つの何かを

見つけられるのだろうか

 

また好きなことが増えるだけなのかな、

 

 

なんてグルグル考えているうちはきっと私は自由の身で

 

なんにでも染まることの自分を

 

楽しんでいるんだろうな〜

 

end.

心の余裕は、皆様に対する感謝

こんばんは

 

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こちらはひよ子さんです

 

私の大好きなお菓子 •ө•

 

中の白餡と皮の感じが

とても美味、、

 

しっかし、この形!!

食べるのには勿体ない顔しやがって、、

 

 

 

んま、食べるけども🤤

 

 

 

 

前回のブログで、インスタをやめますといったものの

 

ブログのために作った新しいアカウントでわりと投稿していて、、

 

少しハテナが浮かぶ方も

いらっしゃるかもしれませんˊᵕˋ ;

 

 

本当に申し訳ございません、、

 

 

でもそれが出来ているのは

 

私がどんなタイミングで写真をアップしても

何度投稿をアーカイブしたとしても

 

許してくださる大好きな方々とだけ繋がれているからなんですよね𓅦

 

 

前のアカウントでは、同じ人に何度もフォローされフォロー外されを繰り返されることが多く

 

私自身のigの在り方にイチャモンをつけられているような気がして辛かった、、

 

 

けれども、完全にインスタを移行してからは

その変なしがらみから解放されて、

自由気ままに、気分に任せて

充実したSNS活動が出来ています◎

 

 

おかげで私の大切な居場所である

ブログの方にも比重が置けるようになり

 楽しみも増えました

 

 

 

 

私にとってこのブログの楽しみとは、なんといっても

〝言葉〟をお伝えすることなのですが

 

更に今では、

私の発した一つ一つの言詞をしっかりと受け取ってくださる人や

私の主張に共感し、一緒に考えてくださる人も増えました

 

インスタのついで、ではなく

ブログを読んでインスタをフォローしましたと

わざわざ伝えてくださる方々もいて

 

これが本来私が望んでいた形だな、と気付かされました

 

もちろん、インスタの投稿から仲良くなった方々もいますし、

そこから全てを認めてくださり、優しさに触れるケースもいっぱいあります◎

 

 

今まで書こうか躊躇っていた

短いお話を創るようになったのも

 

このように、私の言葉を少しでも聞き入れてくださる人がいることを

確信できたからでもあります

 

 

ですから、私は現在とっても幸せなんです

皆様の優しさや温かさには

感謝してもし足りないくらい、、

 

だからこれからも精一杯

私なりに言葉を紡いでいきますね!

 

今回はありがとうございますをお伝えしようと思い

ブログを書きました

 

 

では、おやすみなさい🌛*゜

 

 

end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖女マドンナ」(短編小説)

僕のマドンナ。

 

 

手に入れることは絶対に不可能なマドンナ。

 

 

僕よりも大人で、振る舞いがスマートでさ

僧のような人が似合うんだ。

 

 

 

だって、そうだろう?

 

 

 

でも、彼女は聖女だから、

誰も手を出すことができない。

 

 

 

君だって、そこの彼だってね。

絶対に無理だ。

 

 

 

 

 

 

僕のマドンナは誰からも憧れる存在。

僕だってその中の1人に過ぎないよ。

 

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

もしかしたら、なんて

高望みすらしない。しようと思っても

絶対に無理なんだ。

 

 

聖女で清女でもある彼女のことを

人の手で汚すことなんて以ての外だし。

 

 

 

でもね

だからこそ神秘的な優美さが溢れていて

僕ら全てを魅了するんだ。

 

 

 

一度でいいから、マドンナの肌に触れたい。

 

 

そんな気持ちは溝の中に捨てなければならないのは分かっている。

 

 

 

 

 

ああ、もどかしいな。

 

いっそ、彼女の子どもになりたかった。

 

 

 

彼女の聖なる血液を

彼女の乳房からゆっくりと取り入れ

 

 

満たしたい

 

満たしたい

 

満たしたい

 

 

 

僕の一部が彼女で染まって……

 

 

 

 

 

うわ、とっても罰当たりな。

ダメだダメだ、無理な話なのに。

 

もう彼女はいないけれど、

こんなことしていたら心が惨めになるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

今日は日曜日。

 

 

 

僕は教会へ向かうことにするよ。

 

fin.

「幸福論」(短編小説)

 

私には大切な人がいる

 

 

その人は一見、無口に見えるが

とても温かみがあって

誰よりも美しい。

 

彼の哲学や言葉は

私の身体を、血液と並行に駆け巡り

全てを一瞬で満たす。

 

 

私には大切な人がいる

 

 

その人は私と共に

強がり、泣いて、笑いかける。

汲み取りにくい彼の気持ちは全て

彼の「優しさ」に塗り替えられてしまう。

 

 

私には大切な人がいる

 

 

その人は私へ素直に好きだと告げる。

この言葉に何度も安心し

何度も唇を重ねた。

 

 

彼が居ないという生活は、知らずと考えられなくなっていて

気づけば、私は心のうちで悦楽の叫びをあげていた。

 

 

 

 

 

 

彼の全てに欲情を催し、彼の全てを望む。

 

 

 

 

 

 

私には大切な人がいた

 

 

その人に1度も好きだと言わなかった。

 

 

私は、言えなかった。

 

 

彼の存在が

不純物をいとも簡単に幸福へと溺れさせるから。

彼の存在が

快楽沼そのものだったから。

 

 

まんまと彼に嵌(はま)ってゆく私に、恐怖を覚えた。

 

 

だから傍にある本当に欲しかったものに

目を塞ぎ

耳を塞ぎ

口を塞いだ。

 

 

 

互いのあるべき道に進む際

私が彼を忘れられないというのは

遠に分かっていたことだ。

 

 

 

 

ねえ

 

 

私が、私らしく居続ける為にも

君の命がある限り、どうか君は人生を全うし

他の誰かを幸せにしてゆくのです。

 

 

 

 

君を心から愛してしまった私にとって

それが最大の幸福なんです。

 

fin.

伊豆旅行と私の〝友達〟

 

こんばんは

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るんです

 

だいぶ時間をあけた投稿になってしまいましたね

みなさんはいかがお過ごしでしょうか🐒

 

 

 

 

少し前のことになってしまいますが

私は長いGW10連休のうち2日間を使い、伊豆に旅行をしてまいりました

 

 

一緒に行ったのは、高校時代同じ部活だった女の子二人

 

 

そのうちの一人が、伊豆に別荘を持っているとのことなので、そこにお邪魔するかたちに。

 

 

上の写真は、伊豆高原にある

ぐらんぱる公園のイルミネーション

 

 

母方の祖母が西伊豆に住んでることもあり、私が幼い頃1度連れてってもらった経験があります

 

当時は、そんなに魅力を感じなかった場所

 

だけれど、久しぶりに向かった夜のぐらんぱる公園は

想像していたよりもずっと綺麗で鳥肌が立ちました

 

それと同時に

なんか懐かしいくすぐったい思いに浸った瞬間です

 

 

他にも、ステンドグラス美術館やバーベキュー

 

帰りは熱海に寄って海鮮丼食べたり、海にでたりと

 

1泊2日という短い時間を最大限に満喫できました

 

 

心置き無く楽しめたのは、絶対に二人のおかげです

 

ありがとう

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さてさて、私が今日伝えたいのは

 

前回に引き続き〝友達〟のこと

 

一つ前のブログを読んだ人は分かると思いますが

私は悲観的に考えてしまう癖があるので、友情とか友達という言葉に少し敏感です

 

 

ただ、友達という存在を否定している訳ではありません

 

 

〝仲良くしてたい〟と〝友達〟はニュアンスが違うと考えているだけです

 

 

たとえば

今回旅行に行った二人は、高校時代、「大好き」な部活仲間でありました

 

だから〝友達〟という枠に当てはめる以前に

自分でもよくわからないけれど、好きだなぁと感じていただけであって

喧嘩すらしたことないそんな子たちでした

(まあ、私は喧嘩するほど仲がいいって言葉好きじゃないので、そもそも喧嘩をあんまり信用してないんですけど、ね😅)

 

私たちは同じ部活である以上

いろんな話もするし、自分の意見もしっかり持って接してます

 

特に合唱部ということもあって、関係が乱れてしまったら声にあらわれてしまうんです

 

しかも私の属するソプラノは、同級生がこの2人しかいませんでした

 

自然とうまくやっていけたのは

このように、色んな考えや感情、部活に対する思いなど

ごちゃごちゃしたことをひっくるめてだったのかもしれません。

 

 

 

でも、思いました

 

 

 

部活がなくなった今だけれど、

〝この子たちと居たい〟と

 

今までのごちゃごちゃした、まわりくどい自分の考えを全てとっぱらって

それでも一緒にいたいなと思いました

 

私は、それでようやく〝友達〟なんだなと腑に落ちたんです

 

 

 

 

卒業前の〝ずっと友達だよ😭〟の言葉の後

一生会うことはない、同窓会でたまたま見かける

それだけの関係性になってしまった場合、自分たちの繋がりにわざわざ名前をつけるのって

とても虚しいなと感じてしまいます

 

何でもかんでも〝友達〟にする必要は無いと思うんです

 

仲良しならそれで良くないですか、ね?🕊

 

 

 

 

本日も長くなりました…

 

私の考えを綴るブログになっているので

初めて来たよというお客様は、

「なんだコイツ生意気じゃねえか、格好つけてるのか?」

と思うかもしれませんが

 

これでも、何度も構成を練り直し、言葉を選んで紡ぎ出して書いております

 

ですので、暖かい目で見て頂けると嬉しいです、!

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました

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end.

友達という言葉

こんにちは

 

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るんです

 

 

今日は私の価値観とお友達の話

 

 

 

 

私昔から女の子社会が苦手なんです

 

〝友達だよ!〟

 

この言葉を耳にする度

女の子の友達という感覚ほど儚いものってないと思うんです

 

私の文章を見て嫌な思いをする人もいるかもしれませんが、女の子を真っ向に否定している訳ではありません😌

 

寧ろ人それぞれなので、客観視してこの先を読んでください、

 

 

 

 

知らない間に作られたグループ社会

一緒にいなきゃいけないお弁当の時間

いつ嫌われるか分からない不安

 

 

私自身、小中高と割と目立つタイプで

知らない間にグループの輪の中にいる人間でした

 

目立つというのは全くをもって自慢ではなく

根本的に人が好きで、誰に対してもポジティブに関わる性格だからそうなってしまってるだけです、笑

 

 

逆に言えば、私は誰に対しても人当たりよくする一方で、深い関係を上手く築くことができません

 

 

 

そんな私なので、1番ハードルが高いのはグループに属すことでした

 

 

自分がいてもいいはずなのに、何故かそこにいるのが苦しくなったり

一緒にいてくれる子たちが嫌いな訳でもないのに、集まった瞬間怖くなったり

 

 

 

いつ誰に嫌われてハブられるのか

 

 

 

一人でいたいと思っただけの時も

〝この子は私たちと一緒にいたくないんだ〟

とか

〝勝手に離れようとしてるじゃん、心配して欲しいって思ってるんじゃないの?〟

とか

 

あることないこと想像されて、しまいには取り残されてる

 

凄く悲しいことだなと思います

 

 

そのような経験をしたことは普通にあるけれど、やっぱり1人になるのは辛い

それは自分が弱いからかもしれないけど、人は好きだから

初めに仲良くなってくれたことは真意だって信じてたいから

 

 

矛盾ばかりで面倒なのは自分もわかってますが、本当の友達ってなんだろうと変に考えてしまいます

 

 

 

 

その人がどういう人かという理解の以前に

グループや集団は、無個性が1番であり、無個性が適当だとして形成される気がしてなりません

 

その子のいいところ悪いところがあって初めてその子という存在がうまれるはずなのに

 

それをさせてくれない環境は、やはり少し変かな?と思います

 

もちろん一人ひとりをちゃんと見て、非を認めあってる場合もあるだろうし

先程言った通り、集団でいる方が好きな人もいるはずで

私が大人数での仲良しが不得意な分、それができる子は純粋に尊敬してしまいます

 

尊敬とは変かもしれないけど、笑

 

 

 

ただ思うのは

〝グループとして見た時にその子のことが嫌だ〟

となるくらいなら、友達だよと言って輪の中に一緒にいれようとしなくてもいいじゃないかな

いたい時に一緒にいれて、その場その場で付き合える方が楽なのではないか、と

 

 

私の学校はいい子がいっぱいだったし、私のことを無理だなと敬遠したとしても、上辺は優しくしてくれた

 

もちろん面と向かって話してくれた子だって

大好きな友達だっているよ

 

 

だけれど、その友達という言葉のニュアンスが歪んだ時

この言葉の呪縛は恐ろしいものだなと感じます

 

 

いちばん不安定でなんにでもなれる〝友達だよ!〟という言葉

 

 

そんな軽い気持ちで使うものでは無いと私は思っています

 

 

気づいたら語ってました、、😅

長い文章で申し訳ありませんでした、、

 

繰り返しになりますが、もしこれを読んで不快に思ってしまった方がいましたら、本当に申し上げありませんでした

 

ただのガキンチョの小言だと思ってくださると幸いです

 

 

では、!

 

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end.