Lun's porte

私のどうでもいい私生活の扉

友達という言葉

こんにちは

 

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るんです

 

 

今日は私の価値観とお友達の話

 

 

 

 

私昔から女の子社会が苦手なんです

 

〝友達だよ!〟

 

この言葉を耳にする度

女の子の友達という感覚ほど儚いものってないと思うんです

 

私の文章を見て嫌な思いをする人もいるかもしれませんが、女の子を真っ向に否定している訳ではありません😌

 

寧ろ人それぞれなので、客観視してこの先を読んでください、

 

 

 

 

知らない間に作られたグループ社会

一緒にいなきゃいけないお弁当の時間

いつ嫌われるか分からない不安

 

 

私自身、小中高と割と目立つタイプで

知らない間にグループの輪の中にいる人間でした

 

目立つというのは全くをもって自慢ではなく

根本的に人が好きで、誰に対してもポジティブに関わる性格だからそうなってしまってるだけです、笑

 

 

逆に言えば、私は誰に対しても人当たりよくする一方で、深い関係を上手く築くことができません

 

 

 

そんな私なので、1番ハードルが高いのはグループに属すことでした

 

 

自分がいてもいいはずなのに、何故かそこにいるのが苦しくなったり

一緒にいてくれる子たちが嫌いな訳でもないのに、集まった瞬間怖くなったり

 

 

 

いつ誰に嫌われてハブられるのか

 

 

 

一人でいたいと思っただけの時も

〝この子は私たちと一緒にいたくないんだ〟

とか

〝勝手に離れようとしてるじゃん、心配して欲しいって思ってるんじゃないの?〟

とか

 

あることないこと想像されて、しまいには取り残されてる

 

凄く悲しいことだなと思います

 

 

そのような経験をしたことは普通にあるけれど、やっぱり1人になるのは辛い

それは自分が弱いからかもしれないけど、人は好きだから

初めに仲良くなってくれたことは真意だって信じてたいから

 

 

矛盾ばかりで面倒なのは自分もわかってますが、本当の友達ってなんだろうと変に考えてしまいます

 

 

 

 

その人がどういう人かという理解の以前に

グループや集団は、無個性が1番であり、無個性が適当だとして形成される気がしてなりません

 

その子のいいところ悪いところがあって初めてその子という存在がうまれるはずなのに

 

それをさせてくれない環境は、やはり少し変かな?と思います

 

もちろん一人ひとりをちゃんと見て、非を認めあってる場合もあるだろうし

先程言った通り、集団でいる方が好きな人もいるはずで

私が大人数での仲良しが不得意な分、それができる子は純粋に尊敬してしまいます

 

尊敬とは変かもしれないけど、笑

 

 

 

ただ思うのは

〝グループとして見た時にその子のことが嫌だ〟

となるくらいなら、友達だよと言って輪の中に一緒にいれようとしなくてもいいじゃないかな

いたい時に一緒にいれて、その場その場で付き合える方が楽なのではないか、と

 

 

私の学校はいい子がいっぱいだったし、私のことを無理だなと敬遠したとしても、上辺は優しくしてくれた

 

もちろん面と向かって話してくれた子だって

大好きな友達だっているよ

 

 

だけれど、その友達という言葉のニュアンスが歪んだ時

この言葉の呪縛は恐ろしいものだなと感じます

 

 

いちばん不安定でなんにでもなれる〝友達だよ!〟という言葉

 

 

そんな軽い気持ちで使うものでは無いと私は思っています

 

 

気づいたら語ってました、、😅

長い文章で申し訳ありませんでした、、

 

繰り返しになりますが、もしこれを読んで不快に思ってしまった方がいましたら、本当に申し上げありませんでした

 

ただのガキンチョの小言だと思ってくださると幸いです

 

 

では、!

 

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end.